毒電波を愚痴る。

人生には、いろんなモノが憑き物だ(挨拶)

今日は、ちょっと重たく、暗く、反吐のでる話。

穴を掘って、叫ぶ類の独り言です。


先月29日。
と言っても先週の事ですが、職場の人が退職しました。

企業では良くあることだと思いますし、自分の職場でも定年を除いても退職していく人を見ています。

…が、今回は同期で同じ小学校、高校を通った同級生で幼馴染と言っても差し支えない友人が退職しました。

これが発展的な退職あれば、祝いの話の種として使えるんですが、今回は消去法によって選択肢が本人とってコレしかない状況の中でのモノだとしか考えれなかった。


彼は自分と同じく精神的な病により休職をしていました。時期的には、自分より3ヶ月位前から休みに入っていたと思います。

自分は親・兄弟とかその後のオタライフとかに対してまだ考えることが出来る余地が心にあったから「復帰」という選択をしましたが、彼はその余地すらなかったようです。
以前、お互いに休職で時間があった時に会って話をすることがあったのですが、職場の建造物を見る以前に行こうという考えを持つ事すら辛いと言っていた事を聞いていました。

ただ、一時は復帰に対して前向きな発言もあったので、時間が掛かっても戻って来てくれるのかなと淡い期待と自分が復帰する心の支えの一つにもなっていました。


……
………それが、前回の日記後の10月の中旬頃、総務課の人事担当の課長補佐に八つ当たり気味に話をした時に『彼は近々退職する』って聞き、その日がまさか10月いっぱいだと思わなかった…。

しかも、今日の朝のイントラのメールで、他の同期から送られてきた事もあり、余りのショックと混乱が頭の中で錯乱してて、嘔吐と下痢と鼻水と涙と嗚咽をトイレの個室で漏らしまくった。

午前こそ先週の残った仕事の後片付けや応接で職場の椅子に座っている間は、自我を保って感情を押さえられたけど、午後はダメだった。
気持ち悪くて、午後の始業から30分も居られず、上がらせてもらった。

先週、診察を受けた主治医と産業医の報告もあったので、総務課へ帰りに寄って人事担当の課長補佐と場所を取ってもらい、それらも含めて話をした。

同級生で同期だと同じ部署で仕事することは、退職まで有り得ないけど、10年同じ職場で過ごして酒飲んで言いたい放題愚痴を言って遊び回って相談していた数少ない身近な友人が職場から居なくなる寂しさが、自分にとってココまで精神的に応えるものかと・・・・・・・・・・。

今年、年男の大の大人が、惜しげもなく人の前で泣くとは思わなかった。

それでも彼が選択したことだから、良かった事だと思いたい。相当悩んだ末の判断だったと思うし、人事の課長補佐は退職志望を言いに来た時は吹っ切れた晴れやかな顔に戻っていたと言っていたから。

彼も俺も今後どうなるか分からない俺も復帰までの猶予も限りが有るし、返って彼の方が良い人生を進めるかもしれない。

ただ、何よりも『死』という最悪なバッドエンドを選択しなかっただけでも感謝したい。
彼は「自分にはそんな度胸は無い」と言っていたけど、その目が冗談を言うようなモノではなく、本気だった事を覚えている。
自分にとっての「じゃあ、死ねば?」の一言を他人から言って貰う事待っていた時の様に。

こんな暗いことを書き続けても、気分は最悪なのは変わらない。
彼の今後の幸あることを願って、ここで話を終わりにしよう。
こんな綺麗事を言う自分に反吐が出るけど、思うくらいは大丈夫だろう。

まぁ、今の自分は死なないし死ねないから安心してください。
まだ、もう少し足掻ける余裕が気持ちの中にあるから。


では、また。